「姑獲鳥の夏」感想

ネタばれがあるので続き。直接来た人のために改行も入れておこう・・・。
見にくいけどご了承を。

















正直微妙過ぎる。原作を知っている人間でないとそもそも話の筋を追いきらないと思う。逆に原作を知っている人間からすると不満な点が目立つのでお勧めできない。
確かに原作の筋を追ってはいるのだが、広く浅くなので、重要なところの掘り下げが出来てない。個人的に「姑獲鳥の夏」でかなり重要だと思っている「涼子」=「久遠寺の母」→『関口が抱いている「母へのコンプレックス」』の部分が一切無かったのは不満。物語として、最後の最後、「涼子」が「久遠寺の母」から「涼子」に戻れたのは関口が「母へのコンプレックス」から脱却出来たから、「涼子」は「久遠寺の母」から「子離れ」をして「涼子」に戻れたのだ、と見ていたのだが、映画の描写では「涼子に戻った」と言う理屈に何の根拠も無くなってしまった。他にも個人の描写が浅いので行動原理が全然掴めない(特に榎木津)とか、久遠寺家代々に伝わってきた確執が描かれてないので、事件そのものが薄いとか、色々不満はある。
逆に評価するべき点はみにゃも言っていたように「世界観の映像化」であろうか。終戦後の微妙な世界を背景に、一見怪奇ものと思われるような画を作るのは上手だった。ただ舞台演劇風の演出ははっきり言って蛇足。仮想現実と現実との境界線の曖昧さを演出したかったようにも見えるが、単にチープかつあざとい演出に見えた。<7/19 追記>
チープかつあざといと言えばエンディング後のアレはひどかったなぁ。いや、本当にアレだけはやめて欲しかった。やるのであれば、逆に劇中では一切触れるべきではなかったと思う。なんか「探すも蜂の頭もない」とか、原作を知っている人はニヤリとするかも知れんけど必然性のない台詞を無理矢理入れてる感は非常に高い。もう榎木津は出番なくて良かったと思うんだがなぁ。
あと、クライマックスが違うのも納得がいかない部分である。
関口の見た「うぶめ」の絵が「雨の中の絵」だからこそ、原作のクライマックスの美しさがあったのに、あれでは真逆で美しさも何もない。映像的にはそれこそ「あざとい」のかも知れないが、俺的には納得の行かない部分であった。
そういや「内藤」がなぜいるのか?と言う部分の説明は一切なかったな・・・。
配役的には俺は特に不満点はなし。強いてあげれば宮迫の木場くらいか。少々ひょろく見える。でもあれはあれでまぁいいんじゃないの?と言う評価。<追記ここまで>


2時間しか時間取れないけど、「姑獲鳥の夏」の粗筋をもの凄くおおざっぱに「ある程度間違っている」と分かった上で知りたいなら見ると良いかも。
要するにお勧めはしない。